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文学座アトリエの会『弁明』(作 アレクシ・ケイ・キャンベル、演出 上村聡史)@ NHKプレミアムステージ

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美術史家クリスティンの誕生日。彼女の家に、長年の友人ヒュー、銀行に勤める息子ピーターと恋人のトルーディ、二男サイモンの恋人で女優のクレアが集まってくる。サイモンはなかなか姿を現さない。60、70年代に数々の反戦運動、労働闘争に参加したクリスティンは、男性優位であった美術史研究の世界で成功を収めた。最近、回顧録を出版したのだが、その内容が誕生日に波乱を巻き起こす。(公式サイトより)

 先日NHKで放映されたものを鑑賞。テレビ画面では役者も舞台装置もよくわからなかったので、主に戯曲について。やっぱり演劇は劇場で見たい…

 作品の二つの主題、60年代という「政治の季節」の問い直しと壊れた母子関係がうまく絡み合っていたようには思えなかった。特に後者の母子に関わる話はもっと練れるのではないか。ふたつを接合させること自体は正しいと思うので、残念。

 だがそれとは別のところで、60年代を生き、バリバリのマルクス主義者=無神論者で宗教を毛嫌いするクリスティンと、菜食主義者で熱心な福音派でアメリカ人(すべてバカの記号)という極めて現代的な長男の婚約者トゥルーディそれぞれが語る「信仰」についての議論は興味深かった。

 クリスティンは研究対象のジョットを通じて宗教観を語る。「ジョットは革命を起こしたの。彼の手によって宗教絵画はまったく新しい形を得た。」彼女のジョット論は特に新しいことを言っているのではないが、当時の貧しい農婦の目線から語られるジョットの宗教画との遭遇は、胸に来るものがある。クリスティンは以下のように語る。

 14世紀。あなたは貧しく苦しい日々に耐えている農婦だ。人間は罪にまみれた汚辱の存在であって貧乏人には救済の可能性などない、そういう悲観に満ちた世界像をカトリック教会は人々に植え付ける。宗教画もおしなべて平面的で珍妙であり、これが天国だといわれてもピンとこない。小さい頃から教えられている通り、教会に入って、神に祈りを捧げる。

 「心を込めているからこそあなたは疑問に思う。おかげで胸は恥と恐怖でいっぱいである。つまりこういう疑問。この祈りを聞いてくださる方は、全能の力をお持ちだと言うけれど、あたしの些細な不幸を、あたしのちっぽけな痛みを理解し哀れんでくださることが果たしておできになるのだろうか、ということ。」

 ふと顔をあげると、教会の天井にはジョットのフラスコ画が描かれている。ジョットの絵は従来のものとは違い、リアルだ。悲痛な面持ちの聖母マリアが目に入る。

 「あなたは気づく。この顔、見覚えがある。これは自分の顔なんだ。(…)それは鏡なの。それだけのこと。なのに突然視点が変わったおかげで、あなたは現実がほんの少し耐えられるようになる。他の誰かと自分がつながって、あなたは共感という言葉の意味を初めて知るの。

 そして気づくの。この苦しみを経験しているのは自分ひとりじゃないんだ。祈りは続けるけど、祈り方はまるで変わるの。祈りとは、何か自分の中にあるものに向かうの。新しく芽生えた力に。それが自分の中にあると知れれば、あなたも少しは強くなれる。少しは、安心できる。

 だからなのよ、あたしがジョットを好きなのは。宗教を土台にしながら人間中心主義を浮かび上がらせ深化させる。それをはじめて実現したのがジョットなの。芸術家の、ヴィジョン。力。そして、責任。それ以外はみんな俗説よ。」 

 

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 ジョット・ディ・ボンドーネ キリスト哀悼 1305年頃

 

 さて、トゥルーディは、人間中心主義の観点からのジョット論を聞かされて自身の信仰を振り返った後、以下のように語る。

「大事なのは、多くの人々にとって宗教とは、贅沢品というより、それしか持てないもの、命綱、生きていく理由、たったひとつの希望ってことよ。たぶん私が言いたいのは、宗教とは、世界をどう見るか、人生をいかに生きるかってこと。だからそれを矮小化したって何も解決しない。」

「馬鹿にしたりぞっとしたり非難するのは簡単よ。宗教は大昔の迷信だって。でも大切なのは、理解しなきゃならないのは、もしかすると私達、宗教の代わりになるものを差し出す機会はあった、今もある、手遅れじゃないかもしれないってこと。なのに欲張りなのかわがままなのか、それとも単純に馬鹿なのか。私達、その機会を無駄にしてきた。それって本当に悲しい。」

  こちらも一見さほど目新しい宗教観ではないが、後半でトゥルーディの言う「宗教の代わりになるもの」とはなんだろうか。単純に文章レベルで意味がわからず、小骨のようにひっかかっている。いつか機会があれば原文を見てみたい。 

 

ジョットについての捕捉として、ゴンブリッチの本から引用しておく。

「ジョットは平面上に奥行きを生み出す方法を再発見したのだった。ジョットにとって、この発見は、人目を驚かすためのトリックというだけではなかった。この発見によって、彼は絵画というものの概念を完全に変えてしまった。彼は「言葉代わりの絵」を描くのではなく、聖書の物語をまるで目の前で起こっているかのように表してみせた。」(『美術の物語』150-1頁)

 

Apologia (NHB Modern Plays) (Bush Theatre)

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美術の物語

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