『戦火の馬(War Horse)』ナショナル・シアター・ライヴ
「ナショナル・シアター・ライヴ」にて鑑賞。マイケル・モーパーゴ原作、マリアン・エリオット、トム・モリス演出。主人公の馬のパペットは南アフリカ共和国のハンドスプリング・パペット・カンパニーによる。2007年の初演以来人気を博し、ロングラン。2011年にはスティーヴン・スピルバーグによって映画化。
本作の大成功が、ハンドスプリング・パペット・カンパニーによるパペットの出来と人形遣いの妙技にあることは疑いない。映像でもこれだけ興奮するのだから、その技を一目見たいと連日劇場に人々が詰めかけるのは十分納得できる。パペットの操作に賞賛が集まりがちだが、我々がパペットに「馬」を感じるのは、彼らの類稀な擬声によるものだろう。その吐息、鳴き声。誰が見ても作り物とわかるパペットに、どう聞いても馬のものとしか思えないその擬声が重ねられてこそ、舞台上に「馬」が出現する。*1
0:20頃〜
パペットについては随所で語られているので、これ以上の言及は不要だろ。この作品について筆を執ったのは、舞台装置の「スクリーン」について話をしたかったからだ。
本作は(パペットを主役とするため)徹底して舞台装置を排しており、ほぼ唯一、スケッチブックの切れ端をモチーフとする横長のスクリーンへと場面ごとにイメージを投影している程度である。
このスクリーンについては、NTL恒例の舞台裏インタビューで美術担当のレイ・スミスによるものだと語られる。彼女は連続した馬のスケッチからマイブリッジかマレー*2の連続写真を連想してスクリーンの案を思いついたらしい。
いうまでもなく彼らの連続写真は映画の原型であり、そして映画が発明され普及していったのも劇中とほぼおなじ19世紀末から20世紀初頭にかけてである。映像は、動く。そして戦争もまた運動をその根源に持つ。ポール・ヴィリリオは戦争と映画の不可分の関係について一冊の本まで著している。
ナポレオンによるならば、戦争能力とは運動能力のことだ。十九世紀における軍隊心理学の発展は、実験心理学と生理学の発展にそのまま重なり合う。生理学・医学者のE・J・マレーはクロード・ベルナールの弟子であり、クロノフォトグラフィーの発明者となったが、彼はそれを運動に関する軍事的研究のために利用した。 (『戦争と映画』、34-5頁。)
第一次世界大戦。今までがすべて牧歌的な日々に見えてしまうほど総力戦によって人々は疲弊し、ヨーロッパ中が混沌に飲み込まれた。イングランドの片田舎にとどまり猟馬と農夫として生涯を終えていたはずのジョーイとテッドは、海峡を渡り大陸を駆けることでその渦に飲み込まれていく。
止まっていたものが動き出す。本作の肝であるパペットも、背景の映写装置もそれに当たる。20世紀初頭におきた大きな転換こそがこの舞台の核心であることは疑いないが、それが何であるかまで踏み込む余力は今はない。さしあたって、それは運動であり表象の問題であろうということだけ述べておく。
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