『ハード・プロブレム(The Hard Problem)』ナショナル・シアター・ライヴ

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 「ナショナル・シアター・ライヴ」にて鑑賞。劇作家トム・ストッパードの9年ぶりの新作を、ニコラス・ハイトナーがナショナル・シアター監督最後の作品として演出を手掛けた。

 「ハード・プロブレム」とは「物質および電気的・化学的反応の集合体である脳から、どのようにして主観的な意識体験(現象意識、クオリア)というものが生まれるのかという問題のこと。」(Wikipediaより引用)である。どう足掻いてもただの物質に過ぎない脳なのに、どうやって意識体験が生まれてくるのか?機械論的自然観に馴染んだ現代人なら一度は抱いたことがあるだろうこの謎をタイトルに引っ提げた存命の中では最高峰とされる脚本家の新作となれば、期待せずにはいられない。ハードルを上げに上げて映画館に駆けつけたが、見事そのハードルの下をくぐり抜けられた。

 あらすじは、ハード・プロブレムを心に秘めた若き女性心理学者が、行動主義の研究によって金融市場で財産を築いた人物の研究所に就職し、そこですったもんだ、というもの。二時間弱の一幕物、シナプス信号をモティーフにした舞台も簡素だが効果的で、出来のいい小品であることは間違いない。学術的な用語もそれなりに飛び交うが、前提知識のない観客も楽しみながらついていける工夫がされていて、さすが脚本もレベルが高い。では何が不満なのかというと、そもそも展開される話がハード・プロブレムではないのだ。看板に偽りあり、である。

 この戯曲でテーマになるのは、利他主義であり性善説である。機械論的自然観から考えれば利己的行為しかしようがない人間が、なぜ理屈では割り切れない、ときに自己を犠牲にするような利他的行動をとりうるのか。ストッパードはこの人間しかとりえない(と彼が考える)行動を、シナプスの信号のやりとりとして機械的に説明できない、意識の不可思議さである、としたいようだ。

 だが、上の問題は別段難しい話ではない。生物の最優先事項は個の保存ではなく、種の保存である。個体としては利他的行動に見えても、それが種全体の保存に叶うのであれば、種としては利己的行動である(本作でも見られる子に対する親の愛はその一例)。そこには非合理的な要素は欠片もない。これくらいの話は、劇中でも話題にされた「利己的な遺伝子」のリチャード・ドーキンスだって言っていたはずだ。

 そして人間の意識や思考、行動の複雑さというのはずーーっと昔から(ほぼ全ての)演劇が扱ってきたテーマではないか。ハード・プロブレムは意識がどのようなものか(利己主義とか利他主義とか)ではなく、意識とは一体何なのか、一体どうやって生じてくるのかという別次元の話だからこそ期待して足を運んだのに、結局よくある「人間って複雑だねすごいね」みたいな話に落ち着いてしまって肩を落とした。

 ひとつ気に入ったのは、ヒラリーが神を信じている、という設定だ。ハード・プロブレムは自然科学と哲学の交差点だが、そこに神学の補助線を引く価値はあるだろう。宇宙物理学にしろ量子論にしろ、最先端になればなるほど我々の常識から乖離していき、神の名が唱えられる。我々の世界観に関わる原理的な問いをずっと思考してきたのは、神学だった。まあ偉そうなことを書いたが、私自身も神学には疎いので、今後の自分の課題として引き受けたい。

 

 あと、ブロンドに青のドレスはよく映える、という秘かな持論が確認できたのはよかった。主演のOlivia Vinallはいい役者。