『ラブライブ!サンシャイン!!』1話、2話

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月、夕日、Aqours

 以前、『君のこころは輝いているかい』PVの分析を通して「μ’s=太陽」という仮説を立ててみたが、これは今のところは概ね妥当であろう。μ’sが「キラキラ輝いている」ことは何度も強調され、更には黒澤ダイヤがμ’sを形容する際「宇宙にも等しき生命の源」と表現をしていることが一応の根拠である(同時に並べられる「伝説、聖域、聖典」という表現群とは明らかに毛色が異なる)。

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 さて、2話の最後、高海千歌と桜内梨子によりAqours結成の狼煙が上げられるが、この場面では夜空に月が印象的に浮かんでいる。「μ’s=太陽」であるならば、「Aqours=月」なのだろうか?

 1話2話を通して、千歌はμ’sの歌詞やメンバーの台詞を用いることで、スクールアイドルの素晴らしさや部設立の動機を語っていた。ここまでの軌跡はすべてμ’sを踏襲したもので、借り物といってよい。その意味で、太陽の光を反射して自ら輝いている(ように見せかけている)月は、この時点での彼女たちを表象しているといえよう。

 だが、Aqoursが目指すのは、(μ’sのように)自らが輝くことである。それは、月のように太陽に依存するのではなく、恒星として自身から光を放つことによって、である。「浦の星女学院」という学校名を与えられ、OPのステージセットでも星を象り、幼少期の梨子が没頭しているピアノに対して「自分がキラキラになるの、お星様みたいに」と発言していることからも、以上のことは推測できる。月から恒星へ変化を遂げるために、おそらく遠くない未来、彼女たちはμ’sの後追いをやめることを迫られるだろう。そこから彼女たちが歩むのは「見たことない夢の軌道」(『青空Jumping Heart』)である。

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 そして、このように考えていくと、なぜ沼津なのか、という問題にひとつの解が与えられる。東の太陽(μ’s/秋葉原)を臨むならば伊豆半島東海岸の方が自然であり、舞台が西海岸側の沼津であることはずっと疑問だった。だが、むしろ「μ’s=太陽」だからこそ、西海岸なのではないか。

 OP、ED、本編を通して、海岸から夕日を臨む光景が繰り返し描かれるが、彼女たちが目にしているのは常に落日、つまりポストμ’sの世界である。初代が特権的な地位を占めるのはシリーズものの宿命であり、Aqoursがμ’sのように、太陽のように、特権的な力を持つことはないだろう。だが、彼女たちはμ’sが姿を消した夜空の星々の一つとして、精一杯輝くことが求められているのであり、それは今後展開されるだろう同シリーズの面々も同じことである。西海岸から夕日を眺めること、それはまさにμ’sの野辺送りであり、これこそがAqoursに与えられた使命なのかもしれない。

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性、海、Aqours

 2話途中、千歌の飼い犬である「しいたけ」を見て、梨子はあからさまに怯えていた。物語を彩るちょっとした設定として流しがちであるが、「しいたけ」というこの大型犬が、首にあからさまな男性器のシンボルをぶら下げていることを見逃してはならない。

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 梨子はファン・コミュニティの間で「百合」ではなく「レズ」とされている。「百合」とは外から見た関係性であり、「レズ」とは個人の内発的な欲望を指すのだろう。平たく言えば、その違いは性欲の有無である。考えようによっては、(他の登場人物とは異なり)欲望をうちに秘めた梨子が、男根に対して神経症患者よろしく過剰反応しているという事実は極めて興味深い。

 本家『ラブライブ!』において、男性性は、ほぼ唯一登場した男である穂乃果・父に封じられていた。菓子職人の父は男性器のメタファーとして帽子をかろうじて与えられていたが、顔も声も持たず(=権力を持たない)、話が進むにつれて頭は見切れ(去勢)、ペンライトという折ること(去勢)が必須な代物を手に握らされた。

 『ラブライブ!』に限らず、今日のオタク文化では男性性はとにかく抑圧され隠蔽され、異性交遊を想像させるものは一切排除されるのが通例である。その傾向の極地とも思えた本シリーズにおいて、こういったかたちで「性」が噴出しているのは面白い。今後の梨子としいたけの関係には注意を払っていきたい。*1

 

 「性」という観点に立つと、もうひとつ気になることがある。それは、本作が「海」とも深い関係を持っていることだ。

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 梨子は曲を生むために、海に飛び込んで太陽光を浴びていた。また、黒澤ダイヤの先の発言も「生命」と言う言葉をわざわざ差し挟んでいた。ひょっとしたら、「μ’s=太陽」に対して、Aqours(や他のスクールアイドルグループ)は、その陽光を受けて海で誕生した生命、という解釈図式も可能ではないだろうか。千歌と梨子が身体的に接触する(手を握る)ことでAqoursが誕生するならば、それは生殖行為の象徴とも捉えられるだろう。*2

 

 

 『サンシャイン!!』は、『ラブライブ!』とは異なり、メンバー候補のあいだで複雑な人間関係がすでに設定されている(姉妹、幼稚園での幼なじみ、三年生3人などいずれもワケあり)。穂乃果が順番に手を伸ばして救済していった本家とは別の、絡まった関係性を紐解いてつくり直すような作業が『サンシャイン!!』の千歌、そして監督・脚本の酒井・花田には求められるだろう。2話Aパートで見せた並行モンタージュ(ダイヤ⇔千歌、ルビィ⇔千歌 の2場面を描くことで ダイヤ⇔ルビィの関係性も表現)はその点で本当に見事だった。引き続き、期待したい。

 

  

 

 

*1:「しいたけ」を巡る性的要素として更に付け加えれば、千歌には二人の妙齢の姉がおり、より性に奔放そうな次女は「しいたけ」を可愛がっていつも一緒に画面外へ消えていく。

*2:渡辺曜の加入の瞬間においても、それまで入念に避けられてきた千歌との身体接触が行われている。